私の親父

久しぶりのプライベートの投稿です。

 

この週末、我が母校、金沢大学の学長を務めていらっしゃった山﨑先生のご退職記念講演・祝賀会に行ってきました。

 

先生はとても厳しい先生ということで学部生の頃、噂で聞いておりましたが、話をしてみるといい意味で大学の先生っぽくなく、とても人間味の溢れる先生で、研究室配属になる時はこの先生のもとで研究したいと思わせてくれる先生でした。

「構造最適設計」の面白さを教えていただき、バイオメカニクスなどの研究分野はもちろん、人間形成という部分でも本当に様々なことを教えていただきました。

なぜ私が「親父」と慕うかと言うと、先生の生年月日が私の父親と全く一緒なんです。
私が大学院一年(修士一年)の時に父親が他界し、その時に相談に行くと、「お前は早く社会に出なさい。」と背中を押され、父親の家業を継ぐこととなりました。

先生でありながら、しかもここ8年間は学長という大役でありながら、私のことを本当の父親のように気にかけていただいているので、勝手に「親父」と呼んでいます。

 

記念講演では相変わらずの山﨑節で、冒頭に「さあ講義をしようか!!」とやる気満々で当てられるんじゃないかとドキドキでした。(講演60分の予定だけど、90分やる??って😅)
学生時代に戻ったような感覚だった、「研究分野」の発表。
凄まじい歩みだった、「学長になってからの8年間」。
記念講演は山﨑節に圧倒されました。

 

学術分野での成長はもちろん、「現場」を大事にする親父は学長でありながら、「学長と行く合宿」と題して2泊3日で学生と泊まり込みをしたり、学長自らが新入生と語り合う場を設けたりと、人間力形成にも力を入れてました。

その取り組みが今大きく花開こうとしています。

大学という一般的なイメージを知っていらっしゃる方なら、親父が行ってきた「大学の改革」がいかにすごいものだったかがよくわかると思います。(金沢大学のホームページを見て下さい。)
ここ最近の変革は全て親父が学長として先頭をきってやってきたことです。

学長退職後も某銀行の社外取締役を務めたり、某企業の相談役を務めたり、もちろん母校の相談役であったりとまだまだ多忙を極め、エネルギーに満ち溢れていました。
(まだオープンにできない役職も聞かせていただきました。)

 

式典の最後に…

「全国の国立大学が「地域型」、「特定分野型」、「世界卓越型」の3分野から自らの重点課題を選択し、プレゼンを行い、予算を受ける。
しかも各分野で競争もあり、金沢大学は「世界卓越型」を選択し、そのプレゼンを旧帝大と競うというハードな競争をした。
もちろん負けることもあった。
旧帝大の地域に行くと今までは金沢大学ってどこ??と言われる感じだったが、これからは確実に金沢大学のプレゼンスは上がる!
そのためにやってきた。
だからみんなは金沢大学のOBであること、そして山﨑研究室のOBであることを誇りに思い、仕事をしなさい!!」
と、OB・OGに向けて親父らしい檄が飛びました。

 

まだまだ激務であるにも関わらず個人的には「また何かあったらメールを寄越しなさい。」と言ってもらい、泣きそうになりました。
本当に人間味に溢れ、優しい親父だなと改めて感じましたし、これからも遠慮なく甘えたいと思います。

 

私は親父の行く所に足を運びます!
そして同じ同郷(親父も富山出身)として、親父が富山に帰ってきた時にはまたお酒でも飲みかわそうと思ってます。